被虐待児ですがなにか

生きにくさを抱えた人間の日常。とどけ平凡。

この関係に名前を付けない

……のは、結構苦しい(タイトルより)

 

宙ぶらりんな状態のまま、自分の感情をどこに置けばいいのかわからないまま、ふと湧き上がる幾つもの感情が絡まった感覚に泣いてしまう。

 

今までは、どちらにもなれる、どちらでもいい、中途半端な感覚が良かった。
その感覚が好き、とはまた別の状態で、たぶん、選ぶのがとても怖かったから、保留しているだけなんだと思う。その、どちらにもなれる感覚を。

人間関係はゼロかイチかではなくて、グレーな部分もたくさんあるんだってちゃんと理解できたのは最近で、それまでは良いか悪いか、敵か味方か……とくに後者、敵か味方かを、無意識的に判断していたと思う。誰をも受け入れられないのが嫌でたまらなくて、でも自分と合う合わないっていうのはあって。

合う合わないは仕方ない。

それは相手を見放すとか切り捨てるとかとは違う。

適切な距離感をもって付き合うってことをすればいい。

それだけのことを、意識するのに何年もかかっている。
(しかも意識できただけだから実践にはまた時間かかるんだろうね)

 

「この会社に来るべきじゃなかった」

って言葉に傷ついて、反論もできなかった。ショックが大きすぎて考えるどころじゃない。居場所がまた失われるのかって、どこにも居場所なんて無いって、言われたみたいだった。そう、受け取ったのは私。

そうじゃない言葉だっていうのは理解している。
むしろ、私のためを思って言われたんだって、ちゃんと解ってる。
でも、理解と感情は、私にとって別物だ。

居場所云々をあの時言えたら、そうじゃない、って言われるだろうなと思う。
言葉として聞いたなら、混乱も収束して安心できるんだろうなって、今の私には思えるけど。
そうだよって、もし言われてしまったら……絶望して、その人のことですら信じられなくなって、今までの自分へ逆戻りしそうだった。
それだけは嫌だった。

 

同じパターンに踏み込むのはもう仕方ない。
だったら終わりを違うものにする。
前に間違ったこと、苦しかったことを繰り返す必要はなくて、私はそれを選べるはずだ。

 

自分を信じることができないと、他人を信じることもきっと出来ない。