被虐待児ですがなにか

生きにくさを抱えた人間の日常。とどけ平凡。

人間関係も学びなのだなあ

徹夜明け、出社するとき唐突に思った。

 

最近はずっと人間関係について考えていて、なんだかんだ痛いし堂々巡りもするんだけど、ちょっとずつはいい方向にいってるのかな。いってるといいな。

私は勉強することが好きで、いろんなことに興味持ってきたけど、どうしても英語だけは拒絶感っていうか苦手感っていうか、好きになりたいのになれないジレンマを抱えていて、それと苦手な人に対する思いは似てるなって結びつけたのが最初。

嫌いじゃないんだ。苦手なんだ。好きになりたいんだ。それでも好きになれなくて、何度も挑戦しては挫けてる。
でも仕事で英語の資料読むことがあったり、英語でしか情報が無かったり、無理やり使ってると前よりは慣れてくるってことが解って。
必要なときは案外苦手かどうかは関係なくなるんだなって思った。

だったら、たぶん苦手でどうしようもないひとは、今の私には釣り合わない人なんだろう。私がその人にとって相応しくないんだろう。
(その人が私にとって相応しくないっていうのは傲慢な気がするので自分を下にしたほうが気分いい。それだけ私が登っていけるってことだし)

どうしようもなく合わない人は、今の段階ではすっぱり諦めて、いつか合うときのために自分を成長させよう。だから悩みすぎることはない。

 


考える切っ掛けは、信頼する人に怒られたからです。だーれも指摘しなかったところをずばっといかれた。毎回いかれてる。もうなんでそこ突っ込んでくるの、お前に何が解るのって逆ギレするほど鮮やかに突っ込んでくれるので、いつも悔しい。
悔しいからばーかばーかってその人には素直(?)に言ってる。
甘えてるからこその言葉ではあるけど。


今まで深く関わることをせず避けてきた問題をつきつけられて自覚させられた。

自覚できるほど余裕ができたんだと喜ぶ所かもしれないけど、ちょっとぶっこみすぎではないですかね。