被虐待児ですがなにか

生きにくさを抱えた人間の日常。とどけ平凡。

僻みたくなる時がある

自分の過去やそれにまつわる不調、病気やなんやらを、普段は気にしていない。

……と、言ったら嘘になるが、自分の中の第一位として扱っていない。

やっぱり、体力だったり精神力だったり、そこらへんは人より消耗しやすいから、自分なりに気をつけてはいるけれど。

ずっと生きることに精一杯で、それだけに本当に全てを使ってきたものだから、いざ回復し始めて余裕ができ始めて、未来について希望が持てると、どうしようもない焦燥感と僻みが出てきたり、している。

自分のために母親とも養父とも絶縁して、親類縁者で私と連絡が取れるのもほんの一握り、限られた人間だし、それだって切ろうと思えばすぐに切れる状態にしている。実家に帰るだとかそういった話題にはどうしても入れないし、入らない方がいいとも思っている。事情を知っている相手なら別だけれど、そうじゃなければ「帰らないの」と問われた時に「帰らないね」と答えて……そのやり取りでも消耗することは予想がつく。

 

当たり前がないのです。

 

なにか、本当にどうしようもない何かがあったとして、心置きなく頼れる場所はない。

それを後悔はしていないし、それしか方法はなかったのだけど、不安じゃないか心もとなくないかと言われたら不安だし心もとない。

頼れる場所を作るのは、簡単な事じゃない。

ちょっとしたことなら、頼れる相手も場所もある。相談だってきっと出来る。

それでも、ほんとうに困ってどうしようもなくて、けれど抱えることが重すぎて相手に負担を求めるような事態、そんなときに頼る相手は居ない。

実際には、頼っていい人はいるかもしれない。

それでも、どうしても、私は遠慮してしまうんだろう。

頼って裏切られた時の傷は大きすぎる。
親類を頼って裏切られた痛みを知っている。
もうあんな思いはしたくない。

 

環境に頑迷なまでに固執するのは、それが簡単に得られるものじゃないって思っているから。今までがそうだったから。

それでもあがいてあがいて、どうにか自分のまわりを整えて、頑張っている。

その築き上げた環境を簡単には壊せない。

それが次に向かうための足かせになっているとしても。

 

そんな苦労や想いを、平穏無事に生きてきた人は感じないんだろうな、って、たまに僻む気持ちが出てくる。
苦労自慢をする気はないし、平穏無事に、っていったって、その中で苦労はあるんだろうって解っている。

でも、不公平だな、と思うよ。

どうしようもなく弱るときは、その気持ちで動けなくなる。

 

まだ、私はあがいている。